最近、真理の本を読みあさっているけれど、煩悩はなかなか拭いされるものではなく、ちと混乱中…。お手軽に真理で道を切り開こぅ~という気はないけれど、随分と長いことかかって本ばかり読んでいる…。
学者じゃないので(…学者であっても)、「自分探し」なんてゆー、“探究”のみで満足とか感動だけしてても仕方ないけれど、こればっかりは、思考の転換に時間がかかる。
・・・特に煩悩だらけで、エゴまみれなワタシは

でもエゴの無い人は居ませんしね。
だから現世に居る訳ですし。…特別な事が無い限り。
色々な真理の本だの、悟った人々キリストやら仏陀だの、密教関係だのを見ると、この世は「無」??と表現して良いのか解りませんが、…取りあえず、「無」だの、超リアルなホログラムの「幻想」だの・・・という事になってます。それを理解するには、そのバックボーンを理解せねばなりませんが、こぅゆー話しが大好きなワタシであっても、かなり困難であります。
混乱ついでに、空海・弘法大師の『般若心経秘鍵
そぅいう事をしなくて良いよぅに、『A Course in Miracles
でも内容は、密教系で、むしろそれはキリスト教を信じている人よりも、東洋思想ぎみの私たちの方が飲み込みやすいかも?
そこで改めて、仏教もろくに知らないな?と、空海を読む訳です。
やっぱり、キリスト教より飲み込みやすいかも?
実は仏陀すら、きちんと悟った~という訳ではないらしぃし、東洋でも数々の教えにどんどん分離していく過程を垣間見るに、キリスト教と同様に改編というか?ちょっと核心を突いてないかも?な部分も多々あるよぅな…。コース
つまり、キリストが皆の罪を背負ったとかいう意味合いではないし、死後の世界に地獄は無いし、そもそも、生まれながらに罪人~では無いらしぃ。
『不死というあなたの現実
いずれにしても、歴史や研究がメインではないので、今更キリスト教を読み合わせしよぅ~というよりは、密教をかじった方が面白いかな?と。
幾人も、悟りをひらいた人が「無」で、絶対これが正しい~と言っている訳なので、理由はともかく“ここは正しい”と信じて、何が何でもそぅ信じる事にしよぅ~とか、そぅ思い込むことを装ったとしても、結局は表層意識。単に「無」だと信じるという手は、潜在意識的には通用しない訳だし、単に洗脳したって意味はないので、ひとつひとつエゴを取り去るしかないのかな?瞑想って、結構がんばって「無」に辿り着こぅとするもので、アカシックレコードも邪道~なんて、ある人がそぅ言っていたけど・・・、ワタシの意見としてはちょっと違うんだけど、いずれにしても、エゴやら煩悩を癒す~という、ダスカロス式の瞑想を積まないとダメだと思うのね?
各本には、ヘビーローテーションで「無」だの「贖罪」だの~というのの理由が展開されている。だいたいの“結果”については、これまで読んだ本の中にもあったけど、“理由”というのが載っている点で、この本たちは凄いかも?
