( ̄ー ̄人)

むむっ「無」の境地

ドキドキ小最近、真理の本を読みあさっているけれど、煩悩はなかなか拭いされるものではなく、ちと混乱中…。

お手軽に真理で道を切り開こぅ~という気はないけれど、随分と長いことかかって本ばかり読んでいる…。
学者じゃないので(…学者であっても)、「自分探し」なんてゆー、“探究”のみで満足とか感動だけしてても仕方ないけれど、こればっかりは、思考の転換に時間がかかる。
・・・特に煩悩だらけで、エゴまみれなワタシは汗

でもエゴの無い人は居ませんしね。
だから現世に居る訳ですし。…特別な事が無い限り。

キラキラ色々な真理の本だの、悟った人々キリストやら仏陀だの、密教関係だのを見ると、この世は「」??と表現して良いのか解りませんが、…取りあえず、「」だの、超リアルなホログラムの「幻想」だの・・・という事になってます。

それを理解するには、そのバックボーンを理解せねばなりませんが、こぅゆー話しが大好きなワタシであっても、かなり困難であります。

混乱ついでに、空海・弘法大師の『般若心経秘鍵 』と、『秘蔵宝鑰 』も、読んでみたりして…。

そぅいう事をしなくて良いよぅに、『A Course in Miracles(奇跡の学習コース)』は真理満載で近道を示しているし、しかも実践のワークブックまで用意されているけれど、キリスト教に馴染みが無いし…。

でも内容は、密教系で、むしろそれはキリスト教を信じている人よりも、東洋思想ぎみの私たちの方が飲み込みやすいかも?

そこで改めて、仏教もろくに知らないな?と、空海を読む訳です。
やっぱり、キリスト教より飲み込みやすいかも?

ドキドキ小実は仏陀すら、きちんと悟った~という訳ではないらしぃし、東洋でも数々の教えにどんどん分離していく過程を垣間見るに、キリスト教と同様に改編というか?ちょっと核心を突いてないかも?な部分も多々あるよぅな…。

コース では、「キリストが磔刑になったことが贖罪を確立したのではなくて、復活したことで贖罪を確立したのである。これについて誠実なキリスト信者の多くが誤解してしまった。…」とか、解釈の誤解についても沢山書かれている。

つまり、キリストが皆の罪を背負ったとかいう意味合いではないし、死後の世界に地獄は無いし、そもそも、生まれながらに罪人~では無いらしぃ。

不死というあなたの現実 』(コース関連本)では、「トマスの福音書」が(どこぞで発掘されたそぅですが)、埋められるまでの300年間に、1/3は加筆された~として、正しいものが載っている。

いずれにしても、歴史や研究がメインではないので、今更キリスト教を読み合わせしよぅ~というよりは、密教をかじった方が面白いかな?と。

電球幾人も、悟りをひらいた人が「」で、絶対これが正しい~と言っている訳なので、理由はともかく“ここは正しい”と信じて、何が何でもそぅ信じる事にしよぅ~とか、そぅ思い込むことを装ったとしても、結局は表層意識。単に「」だと信じるという手は、潜在意識的には通用しない訳だし、単に洗脳したって意味はないので、ひとつひとつエゴを取り去るしかないのかな?

瞑想って、結構がんばって「」に辿り着こぅとするもので、アカシックレコードも邪道~なんて、ある人がそぅ言っていたけど・・・、ワタシの意見としてはちょっと違うんだけど、いずれにしても、エゴやら煩悩を癒す~という、ダスカロス式の瞑想を積まないとダメだと思うのね?

本各本には、ヘビーローテーションで「」だの「贖罪」だの~というのの理由が展開されている。だいたいの“結果”については、これまで読んだ本の中にもあったけど、“理由”というのが載っている点で、この本たちは凄いかも?

         

現世と天国の狭間

先日載せた、スピリチュアル書籍、ACIM ( 『 A Course in Miracles(奇跡の学習コース) 』 ) や、関連本の 『 神の使者 』・『 不死というあなたの現実 』 では、この世は幻想だという事になっている。

確かに、ACIMでは、ワークブックの冒頭から、自分たちが見ているものや感じているものには意味がない~という事が書かれているし、東洋の思想でも「無の境地」やら、「輪廻転生」やら、肉体や物質世界を重視していない。

輪廻転生」の意味については本によって解釈が違ったりする。

学びが足りないから、自ら選んで戻ってくる~という説や、せっかく死んで(?)天国に行けても、エゴを排除しきれてないと、また物質世界という幻想に引き寄せられてしまう~とか、その天国までゆき切れず、途中の段階の階層のよぅな場所から、同じ波長に引き寄せられてフルイに掛けられて現世へやってくる~とか・・・。

輪廻の発生源の細かな疑問は置いといて、結論としては、この世で、エゴの産物、カルマを清算しなければ、次の人生をまたやり直し~という事は一緒だろぅ。
そして、当然「この世は幻想」「無」を信じるにしても、最短コースの瞑想で天国をダイレクトに目指すにしても、一般人は、普通の生活や心の中のエゴを消し去ることなく、単に幻想だと、現世を蔑ろにすべきではない。

ACIMはその点、難解ではあるが、言ってる内容は実はシンプルで、物質世界と天国の狭間の色々は、すべてそのシンプルな真理で言い尽くされてはいる。

けれど、人は余計な疑問や想像力で、物質世界と天国の間に様々な世界を既に作りあげてしまったゆえ、ワタシ的には、現世と天国とは物凄いギャップがあるので、その中間の世界の謎も、順序立てて解決したい訳だった。

多分、ACIMが、輪廻を節約して早く天国に辿り着く助け~だと言っているのもそぅだと思うし、これが唯一の道ではないとも言う。

そこで、物質世界や煩悩・エゴにどっぷりと浸かったワタシとしては、どぅしても横道に反れたい衝動にかられる。

メッセンジャー ストロヴォロスの賢者への道
という訳で、偉大なヒーラー、ダスカロスに共感する。
「この世は幻想」と言えども、ワタシが抱える幻想はヒトよりも多いかも?

ダスカロスは、言ってみれば、現世と天国の狭間を行き交う精霊のよぅな人だ。

エゴをも包括する瞑想は、単に無を目指すよりも納得がゆくし、難病を治すヒーリングの他にも、悪霊のよぅな狭間の魂を助けたりもする。

ちょっとマニアックで、ヒーリングは、現代ですら怪しいと思われがちだけれど、ワタシ自身の興味や、実際にヒーリングを行う者として、ここは「幻想」で済ませたくない部分でもある。

この世が幻想でも、何か~は、しなくちゃならないし、その何か~を通して、カルマを清算するしかない。

ダスカロスは、とても聡明で、音楽も愛し、とても優しい印象を受けるし、ヒーリングを信じずとも、カルマの行き先も含めて人への配慮の仕方など、読んでとても勉強になる。ヒーリングで難病を治しても、代金はもらわず、その上、他人のカルマを引き受けることも…。

ダスカロスとはギリシャ語でよく、先生を呼ぶ時に使う敬称だそぅで、名前が出ない事と、自分の手柄や名声にならないよぅにという条件で本書は書かれたそぅだ。

多彩な前世話しや、現世の回想、カルマ清算の行いや瞑想のレクチャー、その中にはサイキックで普通は信じ難い事が含まれる…というか、そぅいう類の話しばかり。
ワタシはそぅいうのはスキだし、ヒーリングもするから許容範囲だけれど、それでも偉大なヒーラーの実際というのは驚かされるし、その印象に反して、とても人間味があるよぅにも思える。

メッセンジャー ストロヴォロスの賢者への道 』 の続編の、
太陽の秘儀 偉大なるヒーラー〈神の癒し〉 』、
メッセンジャー永遠の炎 』 については、
国によっては出版が差し止めになっているそぅで、入手できなくなるとかなり残念なので、慌ててゲットした。

エゴ脱出、やはり愛

このブログのタイトルにくっついている「愛とエゴの狭間」は、前回までの長いお話が元だった。

タイトルをつけた当初、理由は明確ではないけれど、それでもやはり、私の謎は「愛とエゴ」の対決に尽きるし、Another Reason も、結局は信じたくない側面ではあるけれど、内容は一緒で、エゴの言い換えヴァージョンか、その言い訳で、すべてはエゴに含まれる。

それでもやっぱり「愛」がすべて・・・と思いたかった。
だからずっと探していた。

「愛」が答え~と解っていても、それを納得できる言葉で説明しているのは、これまでのところ、ACIM・コース(A Course in Miracles )だけだった。
そしてそれは難解だった。

ブログは横道にばかり反れていたけれど、向き合ってるつもりで、向き合いきれてなかった。~と言うより、直接対決を、完全にやり遂げている~くらいの域だと思ったが、やはり私の思考に限界があった。

青天の霹靂~とはこのことか?みたいな。

だいたいは知っていたけれど、説明しきれない「根本」が、やっと飲みこめそぅだった。

いずれにしても、言うは易く・・で、行うのは厄介だ。

それにしても、過去の掘り起こしは悪くは無かった。あとはその先を何とかすれば良い事で、どっちみち、いつかはやる事になっていた。

でも、向き合う勇気も必要だけれど、仮に、自分で必死に対決しよぅ~としても、そぅしないで、幾分は楽に?リラックスして、ヒプノセラピー(催眠療法)で、退行催眠・前世療法などを受けたとしても、度量というか、心の準備が出来ていないと、ショックは大きいと思われ、向き合う事は必ずしも癒しにはつながらない。

人は信じたい事を信じるので、許容範囲外は認めたくない。

ワタシはコースより読みつつ、もっと楽に読める日本語のコースの関連本を並行して読んだ。

それはコースを学習する上で、励みにもなるし、簡単ではない~という気分にもさせてくれたけれど、心強い事は確かだった。

コースを読まずに、これだけ読んでも問題なく出来ている。

神との対話シリーズも前に読んだけれど、内容は違う。
だから依然、探していた。

信じる者は救われる・・・と言うより、信じるモノが本物か?

この世は学びの場~としても、ホントは幻想だとしても、それでもやはり、現世の行いは大事であり、瞑想のみで悟れないらしく、実践あるのみ・・・。

結局のところ、真理はシンプルで、やはり「愛」がすべてだった。

ところがエゴが邪魔をする。その他、時間や空間や、人間のまわりに存在するかのよぅな、ホントは存在しないかも?な物体や身体や既成概念・・・。

最終的には、輪廻転生を終わらせて、天国へゆくのが目的。学びの為に輪廻転生を繰り返す~という言い方はちょっと違うみたい。
そして微妙な一瞬の狭間の現世や来世は、もぅ既に収束している。

万物創世の神は、この世界は作っていない。書物によっては、聖書のよぅに政治的に歪められているものもあるし、神は愛を経験する為に対局のエゴや、善悪・・・それらを作ったという解釈の本もあるけれど、神は完璧だし「愛」であるゆえ、分裂の象徴のエゴは作らない。

根本的な部分が抜けている他の書物で、いくら同じよぅな、「」だとか「赦しなさい」とか言われても、それはそれで罪悪感犠牲感を伴う気がしていたし、その訳も解った。

とはいえ実際、この本をやっと手に取っても、単に信じる訳でもなく、エゴや既成概念と一緒に、色々な理屈や反論を一人でぶつぶつ言いながら、そしてクールダウンしながら、随分と読み進めるには時間がかかった。

知りたい事ではありながら、そして、私がそぅだと思いたかった「愛」が答えではあったけれど、騙されないぞ!という自分も居る訳だし、丸飲みしよぅとはさらさら思わなかった。

でも、突っ込みたい部分についての説明も上手く掲載されていて、かなり納得がいったし、理解が追い付いていないけれど、エゴに関してのみならず、私が、みんな一緒~と思う事や、勝ちたくもあり、勝ちたくない~という気分についても、説明がつく気がした。

そして死もないし、地獄もない・・・。

幸か不幸か、来世があるから大丈夫~という意味ではない。

神は、自分に似せて我々をつくったけれど、我々は複数でもなく、やはりひとつだし、神に似せて完璧につくった子供を地獄へ落とすはずもない。そもそも、善悪は分離したエゴの領域であって、愛ではないので、神はジャッジを下さない。

なんか、これが真ならあっちは偽~みたいな、理屈並べの、言葉の揚げ足取りゲームか?と思われるかもしれない。取りあえず、この程度の事しか説明が出来ない。

この、コース関連本の2冊は、これまでワタシのところへやってきたスピリチュアル本の中でも群を抜いて興味深かった。

エゴからの脱出 終わりの始まり

バラ自分を愛するごとく他人を愛せよ

・・・とは誰でも知るところだけれど、、・・・そして、この世は修行だと思う事にして、他人を愛そぅ、赦そぅ~、・・・そぅ努めても、本当のところ、どぅいう訳か?を知らないで実践したつもり~は意味はない。

ホントは、他人なんて居ない

そぅ言われ、それが答えだと言われても面喰らう。

前回の記事のごとく試行錯誤をしたけれど、それこそ座禅でも組んで瞑想して、悟りの境地に達すれば辛い事はなくなる訳か?

(それも対処方~ではあるけれど、不意打ちのよぅな攻撃は依然避けられない。)

どっちみち、そんなお手軽に悟れる訳もないだろぅし、中途半端なら所詮、自分逃れや、それこそ、学びが足りない兄弟を赦しなさい~みたいな、偉くなったよぅなのよぅな錯覚に陥ってエゴの罠にはまるのみ…。

どぅもイイ線までいっているけれど、大切な事が抜けている。

・・・それは「」だと思われるかもしれないけれど、自分の知る限りの「愛」で判断しよぅとしても、どぅにも限界がある~という事までは気づいた。
表面的にそぅ行動しても、わずかな犠牲感を後から打ち消すのも違うと思った。

そぅ思う事に単に慣れるにしても、限界や根本を理解しないと、間違っている事をしている~という感覚は消えない。

バラそぅして、半年前からチェックを入れていた書物をやっと読もぅ~という時期がきた。

シンクロか?引き寄せの法則か?たまに人生、上手いこと出来てるな?と思う事があるけれど、種は蒔かれていたよぅで、人それぞれ、気づきや出会いのタイミングがあるらしぃし、早く出会っていても、当時は重要視していなかった事が、後々大事になる事もある。

そぅして、少しずつ拾い集めて現在がある気がする。

(前世も含めて、過去に)何の下準備がなく、究極の真理の本に出会っても本人は興味を示さないだろぅし、もし仮に、これが皆が辿り着く最後のスピリチュアル本で、真理の最高峰だ!~と権威ある人が言ったとしても、そして理解する気はあっても、読み解けないだろぅ。・・・なので、順番に表れるらしぃ。

それこそ前世からの性格か?記憶の断片か?目に見えないものやUFOとか、アトランティスやマヤ文明~みたいなものが小さい頃から好きだったし、科学的で常識的であろぅとする反面、妄想と思われるよぅなものも興味があった。
ノストラダムスの大予言だの、不思議なものが流行っていた時代だから、それに洗脳されていただけ~とも解釈できる訳で、前世を完全肯定する要素にはなり得ないけれど。

だからと言って、大昔の偉い人達が、「無」だの「輪廻転生」だのを、科学で証明できないから嘘だと言い切れる人も居ないと思われ、同じよぅな事を言う人が場所や時代を超えて複数居るのは何故か?と思う。

バラそれに時代はニュートンの力学からアインシュタインの相対性理論だのと変化し、空間やら時間や物質についての物理的な定義も変わってきている昨今・・・。

いくらニューエイジが流行っても、信じない人は来世になっても信じないみたいで、先に書くと、ワタシが出会った書物も、あと500年くらいは一般受けしないそぅだ。

真理の書物にワタシは一瞬デジャビューのよぅなものを感じたりする事もあったけれど、ネットのどこかで拾い読みでもしたんだろぅ~と言われれば、そぅかもしれない。
だけれど、何であれ、何処かに下地があった訳で、気付いた事には感謝。

バラ多分10年以上前に買った本で、当時は核心をついてるとも思えなかったし、今読み返しても同じ感想だからそれはここでは勧めないけれど、その本はまだ手元にある。

3度も引っ越し、その都度要らない本は段ボール箱に詰め込んで、売ったり処分したりしたけれど、その、たいして真理を突いていない本は、また読みたい~と思う程でも無く、1冊でも引っ越し荷物を減らしたいにも関らず、何故か売らなかった。

半年前に何故か引っ張り出してきて読む気になって、そこでどぅも、その本の元になった真理があるらしぃと分かった。

バラA Course in Miracles(奇跡の学習コース)』というのは、洋書で、・・・英語で書かれている。

これが私が取りあえず、辿り着きたかったところだった。

ワタシが掻き集めた中の前述のエゴの呪縛の謎や、ワタシにとっては問題はそこじゃないんだょ~と、核心に今一歩及ぶことがなかった疑問や問題は、初めて解けつつある気がした。

ただ、この本は読んだ誰もが言うよぅに、容易ではない。

テキストとワークブックと教師用マニュアルからなる3冊のこのACIM とも呼ばれる奇跡のコース は、実践から学ぶもので、普段スピリチュアル本に慣れ親しんでいる人にとっても、とても難解だ。

膨大なページ数でありながら、真理しか書かれていない・・・。けれど、他のスピリチュアル本のよぅに、開いたどこかのページを拾い読みしただけでも取りあえず感動~とか、癒される~なんていう、簡単なものではない類。

しかも、日本語版が、今年の4月に出るらしぃと言う事だったが、ナシになったらしく、一応、半年前から待ち構えていた私は久々にチェックして参ったな?と思った。

先に言うと、日本語訳は出版されていないが、手数料2千円で読むことが可能。
ACIM 第一版日本語訳。← 一部はここで無料で読めます。
そして、英文で良ければ、無料でネット上で読むことができます

・・・英文は、翻訳にぶち込めばOK~というシロモノでは無いし、普通の物語でもないので、結構厄介。日本語ですら厄介で、特に、煩悩やエゴに囚われの身のワタシにはサラっと読めるものではない…。

バラ更に、ものすごく残念なお知らせ?だけれど、このワークブックは最短でも1年を要し、それで終わる人は居らず、数年で悟りに達するという期待は持たない方がいいみたい。

ローマは一日にして成らず・・・。千里の道も一歩から・・・。

だけど、終わってみたら一瞬どころじゃないらしぃ。
そして、必ず終わるらしぃ。だって、もぅ終わってるんだから・・・

そぅいう慰めにすがれ~という訳ではなく、・・・でも、終わりの始まりに過ぎないかもしれないけれど、・・・そして、もっと言うなら、現世では終わらないかもしれないけれど、もし気になったなら、未来の種を蒔く時期なのかもしれない。

バラこのACIM・コース について、内容は次回から気が向いたら書くとして、コースについて調べると、ブログなどで扱っている人は、既に学習している訳なので、ワタシのよぅに世俗的な「愛とエゴの狭間」の葛藤についてダラダラと並べている人は居ないかも?

でも実際のところ、ワークブックの内容は「愛とエゴ」に尽きるし、エゴ撲滅大作戦!で、世界感を大修正させなければならない。

多少なりとも知ってしまったからには、大抵の事は煩悩とエゴでしかなく、語れば語るほど、・・・不平不満や愚痴や批判を独り言のよぅに述べるだけでも、自分の首を絞めるよぅなものだ・・・と、口を閉ざしたくなる気分でもある。

そもそも日本語版が発売されていないので、学習している人口自体が少なく、これから情報を集めたいと思う。

(つづく)

エゴからの脱出 序章

キラキラ愛とエゴ」の狭間を放浪するワタシ、そしてアナタ…。

やっと新たな突破口のヒントが見つかった。

実は元から少しは勘付いていたのは、「ホントのところは愛です、愛♪」・・・そんなことを、何処かに記載したはず。

人の心は弱いもの~と、誰しも妥協するけれど、ワタシに関しては意外に嫌な部分も見つめることができて、…もちろん苦しい訳だけれど、それを乗り越えるにはそれしか無いと思った訳で、ひとより心が強い~とか言われたりする。
そぅいう、極力積極的い向き合うタイプの人の方がドツボにはまりやすいかもしれないエゴの罠…。

そんなことで、心の中を洗いざらい検証しよぅ~という、エゴとの戦いは始まって、結構な年月が経った。

キラキラ過去の案件は、解決するという目的以外に思い起こすものではない~という感じの言葉をどこかできいた。
ワタシは解決のために掘り起こし、それ以外に言い方や対応の仕方が無かったか?というのを検証した。
(これは実は、悪くない発想だけれど、微妙に間違ってもいた。)

イチオ、ワタシという人はそんなに不道徳でも非人情的でも、我侭でもない~と思われ、過去の検証は自己弁護ではなくて、極力第三者的に見る努力をした訳で、・・・でも結局のところ、一般的な常識をもつ第三者が間に入ってジャッジするならば、・・・それか誰かに相談したならば、多数決で勝てるのでは?という、…どっちが正しいか?…ワタシは正しい~という結論しか出ない。

だったら良いんじゃないか?・・・で、納得できない。

どぅして、そぅいう案件が寄ってくるのか?という謎を解明しない限り、同じ事が起きることも勘付いていた

一般的に正しい~だの、多数決ではこっちが勝つ~だの、未来に起こる事の、更に事後に納得しても仕方ない

でも、イチオ、極力善良に、人に優しく親切に、面倒みが良く誠実に、そして一貫性を持って…そぅ努めてはいても、言い掛かりや、誰かの押し付けや、足の引っ張り合いは起こったり、喧嘩を仕掛けられることだってある。(たとえ、100人が100人、君は正しいと味方してくれたとしても。)

キラキラ過去の引っ掛かる案件は、必ずしも議論や理屈で全勝だという訳ではない。(いろんな意味で。)
相手がどぅして、そぅ攻撃してくるのか?という影の部分は、大抵は無視したいけれど見える訳だし、相手のエゴをこっちの言葉に勝手に投影して、誰も反応しない事にすら攻撃をしかける~というエゴの罠も、少しは理解できていた。だから、反論したい部分と、勝ちたくない~という心がいつも何故か働くのにも気付いていた。

当然、それと分かって反応してしまって悪かったな?と思う事も多々あったけれど、理論で勝って、相手を打ち負かすことが出来ても、結局、勝ち負けは無いし、どっちも傷付くし、いつか分かってくれるだろぅ~みたいな、消化されずに嫌な想い出が蓄積されてゆくばかり

だから、検証して正しさを主張しても過去は消えない

キラキラ解決のために掘り起こす~というのは、赦す・癒す~という作業が必要だけれど、「あの人は学びが足りない人なので許しましょぅ。」という事が書いてある本もあったけれど、それも絶対に違うと思う。

学びが足りない~、は、そぅかもしれなくても。

だから、取りあえずの教訓は、学びが足りない者同士、喧嘩じゃなくて、そして相手を打ち負かすんじゃなくて、普通に議論して、起きてしまったことは穏便に解決して後腐れなくしましょ!そして嫌な記憶はもぅ残さない!

だった。

でも過去は消えない。そして、同じ事はまた繰り返される。

個人レベルでも、グループや団体でも、社会や国や、世界中で・・・。

キラキラ自分一人でも手いっぱいなのに、全世界~は飛躍しすぎ~と思うかもしれないけれど、ワタシがもぅひとつ、私が勘づいていたのは、個人の偏差値が重要というよりも、みんなの平均点が世界をつくっている~という事だった。

そりゃ、当然そぅだろょ!・・・なんだけど、意外に、ワタシ~というアイデンティティは、ファッション等の個性を非常に求めるながら、反面、ワタシ達~という強い意識がある。
それは日本人~とか、そぅいうグループ意識ともちょっと違う訳で、そこが、ワタシがヒトに勝ちたくないと思う理由かも?

議論で勝ちたいとは思うけれど、打ち負かしたくない~。自己を主張したいけれど、みんな一緒。・・・そして、愛とエゴ。この二極性をどぅしたら良いか?とずっと思っていた。
大昔に書いていたブログでも、その分裂した思考の事を度々問題にしていた。

当然、みんなイイ人~の平均点が上がればトラブルは減る。

キラキラちょっとズレるけど、101匹目の猿、又は、101匹目の猿~というのは論文のでっち上げで、嘘だったらしぃ…。ちょっと残念。
でも人がこれを支持したかった理由は悪くないし、実はこれは、エゴからの脱出のヒントでもあるよぅだと解った。

シルバーバーチも、知る人は知る?…らしく、良い言葉が満載で、この本のすべてのページ、壁に貼っておきたい~と思うほどだ。
これは読んで損はない。


そんな役に立ちそうな論文やら、スピリチュアルな真理やら、心理学やら、・・・色々かじってみても、根本が解明できていないワタシには決定打にはならず、表だっては良い選択をしよぅと心掛け、取りあえずは地獄には落ちないだろぅ~程度の慰めでしかなかった。

真理好き~は世の中沢山居るけれど、…そしてその知識はあった方が良いけれど、それに感動しているだけでは意味がない~とも思ったし、真理は根本を知らずとも一応感動的だったりもするし、行動の指針には出来たけれど、ワタシには何かが足りなかった。

キラキラこの世は修行だ~という考えも、そぅ思う事にしても、謎は残った。

それとは逆に、「瞑想で無に達するのが悟り」で、世俗で成すことは無意味~やら云々と言う友人とは根本的な部分で意見が合わず疎遠になった…。

私には反論する術は「勘」とか「感覚」でしかないし、理論や多くの学者が信じている定説だろぅが、感覚だろぅが、取りあえずは机上の空論でしかなく、こればっかりは、死んでみないと決着がつかない。

それまで待てないし、そんな事よりも、教授と名のつく人に反論するのみならず、キレさせた実績をもつ私のこのまだはっきりは分からない確信は何処からやってくるのか?

でも、彼との意見の対立で、自分の意思がよりはっきりした。
ワタシが正しいと言いたいのではなくて、お互いそぅいう役目だったんだと思う。

キラキラずっと考えて、・・・ただ考えたり瞑想してても埒が明かない~行動してこそ~とも知っていたけれど、自分の中の方向指示器が上手いこといかないので、動かれなくなってしまっていた。

別に悲観的に、何をやっても失敗ばかりで真理に救いを求めたい~という訳ではなくて、これまでは平均的には成功していた方だと思うし、勿論努力もしてきたけれど当然困難もあったし大きな病気にもなったし、それでも結構我慢強い方だし、恵まれていているとは感じる。

でも、人生を止めてしまうほどに強く、何かが解せなかった。
そのまま「こんなもんだ」と思って努力しても悪くはなかったし、もっと上の生活水準だのキャリアだのを目指せたとも思ったけれど、未来の予測がつくと、ワタシの情熱は冷める。解りきった未来を生きたいとは思わず、ただ平安に暮らしたかった。

そぅいう意味では、定年退職後の老人の自分探し・生き甲斐探しが随分と早くやってきたよぅでもあり、道楽のよぅでもある。幸せなんだからいいんじゃないか?・・・別な人がこの人生をやっていたら、そぅ思うかもしれない。

そしてとぅとぅ、自分でボチボチ気付いた幾つかのヒントがつながってきて、ジグソーパズルの輪郭が出来てきたかも?くらいの気配がする。

(つづく)ACIM

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